靖國神社に代わる国立慰霊施設新設に反対するための行進に、参加しました。それも戦友連の方々〔注:大東亜戦争終結後、各地に出来た戦友会が、「靖國神社を国の手で祀って貰いたい」という目的のための集まった連合体。当然みなさんご高齢で、お孫さんとともに見えている方もおられました。〕と同じ集団に入れていただいての行進でした。ありがたいことであります。
そう。 残念なことは、この方々にいまだに、戦いの矛を納めていただくことができないでいる日本という国の今のあり方です。なぜ、八〇歳を越えてなんなんとしておられる方々が、この国の将来に関してかくも心配せざるをえず、さらに、靖國で会おうと誓ったかつての戦友をそのまま安らかに祀ることさえできないのでしょうか。この、国家のために戦った国民に対する、この国の不義理は一体どこからやってくるのでしょうか。 「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」では、ある委員が、日本は戦後、「不戦の誓い」を行ったと述べています〔注:第五回議事録参照〕。これはどうやら、占領軍によって押し付けられた憲法九條のことを指すものらしいのですが、この意味することは、「私は生命をかけることによっては正義を追求することを、これ以降国家としてはしません」という誓いです。 戦争とは、それぞれの国が、国益を追及する過程で、それぞれの国家間で矛盾が生じたときに行なわれる、いわば矛盾解消の手段です。国益を追求するということの意味するところの第一は、国民の生命財産を守ること、すなわち生命財産を作り上げる基盤となった国の形を守ることです。そして、このことを基本として国際的な法秩序を形成せんとする行為のことを正義の探求といいます。これこそまさに、民族の存亡をかけた命がけの正義の探求でありました。この危機感、切迫感は、平和ボケの人間には、想像をすることも困難なことであります。 このような正義の探求を「平和」の名の下に放棄するということは、まさに、正義を行うに片手間でしか行わないと宣言することを意味しています。「正義は他国が決めて下さい、私はそれに従います。」という奴隷国家宣言、植民地国家宣言を、日本は、「平和国家」の名の下に行っているということです。そしてこの誓いはまさに、責任逃れを主務とする三流の官僚にとって、何よりも好都合な文言となっているということを、理解されるでしょう。
靖國神社の英霊を冒瀆し、大東亜戦争を冒瀆している者たちの根源がここにあります。 このように書くと、戦争を美化しているという揚げ足取りをする者がいるので、少し補足しておきましょう。戦争は悲惨を作り出します。しかし、それは、力くらべによって、より正義に基づいた、より安定した平和を世界にもたらそうとする、人類の智恵(悲しい智恵ではありますが)に基づいた国家間あるいは国際正義追及の手段が戦争なのです。 なぜ、大東亜戦争前には人類の大半の地域の人々が、植民地化され無教養の中に放置され、強者の正当な権利として人種差別が宗主国すなわち欧米の白人種に付与されていたのでしょうか。それは、彼等が強力な殺戮兵器を開発していたからではないですか。その圧倒的な武力によって、自身に都合の良い「地球分割統治」を行おうとしていた。キリスト教という神の名の下に、他民族支配→植民地主義を正当化してきた。それが正義であり、それこそが自国を強固にし民族の繁栄を築く智恵であった時代。日本も、民族国家として生き残るためには、その方針、現代でいうグローバルスタンダードにしたがわざるを得ないというところまで、我が国は追いつめられていた。欧米諸国に追いつき追い越そうとする激しい努力を日本国家は行ってきました。そこには、アジア諸民族の存亡もかかっていたことは言うまでもありません。そして、駆け上がった舞台の上で日本を待っていたのは、肌の色による差別と経済的な封じ込めでした。そこに、日本民族が絶望的であれ正義を求めて戦わざるを得なかった理由があります。
我が日本国はこのような大東亜戦争の貫徹に向けて、国家として、切腹したのではないかとも思えます。それほどの覚悟をもって、この正義の実現のためにかけ、そして、実は、その正義の実現に成功した。その偉大な戦いの先陣を走っておられた方々の中に、靖國神社に祀られている英霊の方々がおり、また、生命を保ち、戦後、再度日本国の再建という困難な戦いに参じた戦友連の方々がいます。そのような現代日本の基礎、現代世界の基礎を作るために戦い抜かれた方々が、そのご老体に鞭うってなぜ、再び戦わねばならないのか。四〇代半ばにして私は深く反省しないわけにはいきません。
高齢の集団ではありましたが一人の脱落者もなく行進は終了しました。私は戦友連の方々といっしょに懇親会に混ぜていただきました。もう、ほんとうに、もったいないことであり、ありがたく、その暖かい雰囲気を呼吸させていただきました。 この場を借りて御礼をさせていただきます。ありがとうございました。 |
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